甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実

1992年8月16日、夏の甲子園
第二回戦、星稜 対 明徳義塾


僕が大学4年生のときだった。
金沢の大学に通っていた僕は当然のように星稜高校を応援していた。
この大会は松井秀喜選手が3年生になって、星稜高校も集大成で全国制覇を目指していた。
地元のムードもそうなったいた。


そして、テレビで試合を観戦していた僕たちは明徳義塾の作戦に驚いた。
高校野球でこんなことがあっていいものかと。
9回の5度目の松井敬遠のときにはメガホンやゴミがグランドに投げ込まれる。
僕も当然そういう気分だった。


星稜が被害者で、明徳義塾が悪。
完全にそうしか理解できていなかった。正直なところ今でもそう思っている。


そう思っていた...。
本書を読んで、見方が大きく変わったように思う。
野球という対決として考えた場合には、明らかに明徳義塾の方が作戦勝ちだった。
星稜の山下監督は松井の敬遠も考えていたかもしれないが、
すべての打席で敬遠されるという事態までは想定していなかった。
どこかで甲子園なんだから松井と勝負してくれるだろうという甘い考えがあったんだろう。
そして、5番打者からの下位打線を対応できなかったのもチームとしての弱さだったのだろう。


もう1つびっくりしたこと。
石川県民の思いに反して、明徳義塾の選手たちはそんなに悪く思っていなかったこと。
勝つための作戦として当然のことをしたまでという考えであり、
彼らも松井と同様に高校生活のすべてを野球に捧げてきたのだから、当然のことだった。
こういう勝負に対する甘い考えが、北陸の野球が弱い理由というところはどこか納得出来るものだった。


『Sports Grapchic Number』の8月19日号にも山下監督による本試合に関するインタビューが載っている。
本書を読む前にNumberの記事を読んだときには被害者としての山下監督の気持ちに同調できたが、
本書を読んだ後に改めて読み返すと、やっぱりどこか甘いように思った。


あれから明徳義塾は全国制覇も果たし、今年の夏の大会も出場している。
本当の名門校になったという結果で判断すべきだろう。


★★★★☆

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)

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