欠陥ソフトウェアの経済学

僕のようなソフトウェア開発者にとっては非常に厳しい内容である。


ソフトウェアというものは既に社会インフラの中でも重要な役割を担っている。
何でもかんでもソフトウェアなくしては、機能しないものがほとんどだ。
機械(ハードウェア)だけで動いているものは原始的なものでしかなく、
今や家電製品のほとんどもソフトウェアで魅力的な機能を実現しているのだ。


社会の生活でも、生きるための重要な要素である電気・水道・ガスが供給されるにも
ソフトウェアが制御している。
例えば、原子力発電所の制御のように。
また、病院の中も電子カルテシステムや医療機器もほとんどソフトウェアで制御されている。


このように、ソフトウェアは社会では僕らの命に直結する部分で使われているのだ。
しかし、それにもかかわらず、ソフトウェアの品質が劣悪であり、社会的責任も十分に果たしていない。
これからは法的責任を持って高い品質を持ったシステムを出荷せよと。
著者は、現在ソフトウェアは対象となっていないが、
ソフトウェアもPL法(製造物責任法)の対象にし法的に責任を持たせよ、
また、誰もがソフトウェア開発者になれないように、公的資格が必要な職業にせよと提案している。


確かにこんなことはわかっている。
以前からソフトウェアの品質について議論がある度に論じられてきたポイントである。
既に百も承知だ。
の、つもり...。


あまりにも耳の痛い話。
理想はわかるけど、現実には難しいと言ってしまったら、ただの言い訳なんだろうなぁ。


もっともっと品質を高めて、機能やスピードだけでなく、品質・安心感で勝負できるようにもしたい。
ただし、本当にPL法の対象にしてしまったりしたら、このソフトウェア業界は大きなダメージを受けることなると思う。
おそらく新しいアイディアと技術を武器にした新興企業は登場することはできなくなり、
品質管理体制がしっかりしている大企業だけに淘汰される。
企業の数などを考えると、著者が本書の中で繰り返し書いているような自動車業界と単純に比べることはできないはずだ。


テーマや言いたいことはすごくよかった。
ただ、翻訳が良くないのか、すごく読みにくい文章で疲れた。読みづらくて時間がかかった。
原書に忠実でなくても、日本語として読み易いように訳したらどうだろうか。


そういう訳で、残念ながら人には勧めにくい。

★☆☆☆☆

欠陥ソフトウェアの経済学 ―その高すぎる代償―

欠陥ソフトウェアの経済学 ―その高すぎる代償―